CASE .07
事業引継ぎ支援事例 No.07
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事業引継ぎで、
地域の商流と活力を守る。
工業用のテープや接着剤、ワックスや溶剤を親子3代にわたり販売してきた、株式会社ヨネザワ。
3代目社長の米沢伸明氏は、約20年前に“家業を継ぐのは当然のこと”と事業を引き継いだが、自身には息子がおらず、今後どのようなことを考えたらよいのかと漠然とした不安を抱えていた。
直面する後継者不在に、
いかに向き合うかを模索。

株式会社ヨネザワは、鳥取県の産業とともに歩んできた。かつて木工業が盛んだった時代には、木工業者に接着剤などを販売。やがて木工業が衰退し、大手電機メーカーの工場が県内に進出すると工場のニーズに合わせた加工テープや接着剤の販売に舵を切り収益の安定を図った。
周囲を見回しても接着剤を主力に扱う企業はなく、社員数6名という規模ながら、地域のサプライチェーンの中で重要な役割を果たしてきたのだ。
しかし近年、大手電機メーカーの工場が撤退すると、収益の柱はビルメンテナンス会社などへのワックスや洗剤の販売に変わっていった。ただ、大きな柱とまでは呼べず、売上減から抜け出せないままでいた。
「自分が経営者を続けても、会社はいい展望が見られないかもしれない」。米沢社長は、そんな不安を胸に抱きながら、会社を残すためにどんな取組みをしなくてはいけないのかを考え始めるようになる。というのも、米沢社長には息子がなく、従業員に経営者になるリスクを背負わせるのも難しいと考えていたからだ。残る手段としてM&Aという選択肢があることはわかっていたが、「小さな会社がM&Aできるわけがない」と、実感は持てないままでいた。
そんな胸中を、メインバンクである山陰合同銀行の支店長に話したところ、鳥取県事業引継ぎ支援センターを紹介され、「話だけでも聞いてみてはどうだろう」と背中を押された。

まだ60歳。事業引継ぎには、早すぎるのではという不安も。

「まず銀行の支店長さんと一緒に来られたことに感心した」。相談に対応した鳥取県事業引継ぎ支援センターの田中博樹氏は、第一印象をそう振り返る。社長の本気度だけでなく、銀行のバックアップも得られていることが窺い知れたからだ。
田中氏が感心したのはそれだけではない。「堅実な決算が続き、内部留保も高い。何より社長自らが過去50年の売上と利益の推移を把握し、単年度赤字が出たとしても経営改善計画書として要因を分析していた。これには心から感心した」。
堅実かつ誠実な経営状況を確認した田中氏は、「相談に来られただけでも60点です。前向きに進めていきましょう」と譲渡先探しをスタートさせた。
相談時の心境について「相談当時、私の年齢は60歳。周りを見渡せば70代80代の経営者もいる。この若さで事業引継ぎを考えるべきかどうかが不安だった」と米沢社長は語る。現在、中小企業の経営者の年齢のピークは66歳といわれている中、確かに早めの取組みだったのかもしれない。しかし田中氏は、後継者不在に早く気付き、早く対策に取り組むことが大切だと語る。「だからこそ、相談に来ただけで60点なんです」と。

(株)ヨネザワは「つける」「はなす」をキーワードに、接着剤などの資材を販売。 地域のサプライチェーンで重要な役割を担う
相談から約1年、山陰の有力企業の目に留まる。

譲渡先探しは、簡単にはいかなかった。
その要因は大きく2つ。ひとつは、鳥取県内に譲渡できる同業他社がいなかったこと。そして、優れた財務状況であったが故に、ある程度資金力のある企業でないと譲受けが困難だったことだ。
ただ、米沢社長が早めに行動を起こしたことで、腰を据えて譲渡先が見つかるのを待つだけの猶予が生まれたのは大きかった。
相談からおよそ1年後、事業引継ぎ支援センターの尽力により、ついに(株)ヨネザワがとある企業の目に留まる。島根県に本社を構え、中国地方を中心に総合ビルメンテナンス事業などを手掛ける、さんびるホールディングス株式会社だ。さんびるホールディングス(株)は、「地域のお役立ち」をキーワードに広域で事業を展開する有力企業。社長の田中正彦氏の名刺の肩書には「幸せ配達人(でありたい)」という言葉が記され、中国地方での幸せネットワークの核となることを目指す活動として、学童塾など生き生きと暮らせる場の創造に取り組むほか、M&Aにも積極的だ。
「“成長する場を求める社員”と“事業を残したいと思っている方”のためにM&Aに取り組んでいる。さんびるの力で苦しんでいる会社を元気にでき、社員も輝けるならこんなに嬉しいことはない」と田中社長。
ただし、M&Aに取り組むうえで3つの条件を持っている。1つ目は、自社の持つ人づくり、組織づくりの強みが生かせる相手か。2つ目が、自社の業態と繋がるか。最後が、譲り受ける企業の社長と田中社長自身の想いが通じ合うかどうかだ。
実際のところ、事業引継ぎ支援センターから話を受けた時、(株)ヨネザワの事業が物販だったことに懸念を覚えたそうだ。「当社は人を育て、人が何かをするというビジネスモデル。物販は得意ではない」。
しかし、(株)ヨネザワがビルメンテナンス会社に多く資材を卸していることを知り、一緒になることで商流が生まれると判断。事業引継ぎ支援センターに、正式に話を進める依頼をかけた。

事業を譲り受けた田中社長。「地域とお客様と、そして自分たちが三位一体となって生きていく」という理念を掲げている
(写真上)事業引継ぎを支えた鳥取県事業引継ぎ支援センターの田中氏
(写真下)経理として(株)ヨネザワを支えてきた、米沢社長の奥様(左)
事業引継ぎが、新たなエネルギーを生む。

「大きな会社が私の会社に興味を持つなんて、冗談じゃないですよね?」。事業引継ぎ支援センターの田中氏が話をつなぐと、米沢社長は驚きを隠しきれずにそう言ったという。田中氏は「さんびるさんは絶対にいい会社だから、進めたほうがいい」という言葉を添えた。
「結婚でいえば事業引継ぎ支援センターは仲人さん。いい結婚になるとおすすめいただいたので不安はなかった」と米沢社長は当時を振り返る。
トップ面談が実施されると、2人の社長は意気投合。米沢社長は「田中社長はエネルギーのある人。目を見ながら話すと、この人と合うなと思った。この人なら会社をちゃんと受け止めてくれるという印象が持てた」と話す。一方で田中社長も「社長が非常にソフトで、社員や組織づくりの考え方の根っこが似ていると感じた。ここが合わないとうまくいかない」と語った。
相思相愛のトップ面談の後、米沢社長が「こんなにとんとん拍子に話が進むとは思わなかった」と驚くほど、事業引継ぎはスムーズに進んでいく。
その陰には、事業引継ぎ支援センターの田中氏の働きがあった。田中氏は秘密保持契約書や株式譲渡契約書の作成を支援するなど、弁護士や会計士等の専門家とも連携し、円滑な事業引継ぎを支えたのだ。
そして、2019年3月に晴れて事業引継ぎが完了。米沢社長が大切にした全従業員の雇用と、(株)ヨネザワの社名が守られた。現在は引継ぎ移行期間として、米沢社長が引き続き社長を務め、さんびるホールディングス(株)からの出向者が常務と経理に在籍している。
事業引継ぎを終えた米沢社長は「自分の力では、今後のいい展望が見られなかった。さんびるのエネルギーが入り、ヨネザワが盛り上がっていくのを見るのがこれからの夢です」と語った。
地域に欠かせないサプライチェーンが守られただけでなく、今後の(株)ヨネザワがより元気になることで地域もまた、元気になる。事業引継ぎは、地域の活力を守る使命も担っているのだ。

事業を譲渡した米沢社長。事業引継ぎ後も社長として業務を行いながら、次の世代を育成している
事業引継ぎの流れ
- FLOW -
STEP.01 自身に息子がなく会社を残すためにどんな取組みをすべきかを考え始める
STEP.02 メインバンクに会社の今後について胸中を打ち明ける
STEP.03 鳥取県事業引継ぎ支援センターを紹介され、相談に足を運ぶ
STEP.04 (株)ヨネザワの情報がさんびるホールディングス(株)の目に留まる
STEP.05 トップ面談で社長同士の経営観が一致、意気投合する
STEP.06 互いが満足できる形で事業引継ぎが完了
STEP.07 さんびるホールディングス(株)からの出向者として常務と経理を迎える
STEP.08 米沢社長が引き続き社長を務めながら経営の引継ぎが行われる