〈事例4〉高和製作所|第三者承継の事例紹介
経営者を引退し、
技術と雇用を次の世代へ。
椅子張り50年。秋田では“張りといえば高和”と言われる、高和製作所。前社長の高橋和夫氏は、県の優良技能者にも数えられる名工だが「経営の責任を背負い続けられない」と経営者としての引退を考え始める。
経営者としての重圧に、
限界を感じる。
秋田県で50年以上にわたり椅子張りを手がける、高和製作所の前社長、高橋和夫氏。県の優良技能者にも数えられ、“張りといえば高和”とその腕前には定評がある。手がけた椅子は、大手百貨店や銀行、公共施設から海外まで名だたる施設に納められ、高橋氏の技術を頼った依頼は後を絶たない。
しかし、年齢が75歳に差し掛かった頃から、心の中では経営者としての引退時期を模索していた。「毎月社員に給料を出し、守っていく責任。その重圧は経営者にしかわからない」。高和製作所の社員数は7名。椅子張りという技術ひとつで社員を守る責任はあまりにも重く、高橋氏自身が経営者を続けることへの限界を感じていたのだ。
事業承継の相談推進員が高和製作所を訪問したのは、そんな折だった。秋田県では、事業承継問題が深刻と言うこともあり、県独自の取組みとして中小企業の事業承継の相談推進員を配置、巡回する取組みを進めていた。そこで高橋氏から「後継者が居なくて悩んでいる」との相談を受け、平成26年に開設されたばかりの事業引継ぎ支援センターに話をつないだ。
早速、高和製作所に訪れた事業引継ぎ支援センターの河田氏は、高橋氏から「事業を引継ぐとなったらどのように進めたらいいか」と相談を受けた。そこで、M&Aに際しての実務手続きや留意点について説明。また、メインバンクである秋田銀行にも相談をしていたことから、平行して引き継ぐ方法の検討を進めた。
引継ぎを打診していた、
取引先の存在。
一方で、高橋氏は、40年来の取引先である木製家具の部材メーカー北日本ボード工業の工場長、佐々木氏に「自分が辞めることになったら社員を頼む」と、引継ぎの打診をしていた。高橋氏の打診に対する反応も良好で、胸の内では本命として北日本ボード工業に会社を譲渡することを真剣に考えていた。
こういった背景もあり、平成27年の元旦に、奥様とお酒を飲み交わしながら年内に経営者として引退することを宣言。正月開けに社員に引退の意向を伝え、「引継ぎたいと思っていたら、ゴールデンウィーク明けまでに名乗り出て欲しい」と投げかけた。
ゴールデンウィーク後、再び社員に継ぐ意思があるかを尋ねたところ、引継ぎたいと言う社員はいなかった。職人として仕事をしながら、経営者としての責任を負うことの大変さを誰よりも知っている高橋氏は、社員たちの心のうちを察し、北日本ボード工業との交渉を進めることを決意した。
これを受け、事業引継ぎ支援センターでは専門家として弁護士を派遣し、事業譲渡契約に向けて実務面で高橋氏をサポート。秋田銀行が、両社の調整役として契約を進めて行った。
長年の付き合いが、
事業引継ぎを円滑に。
実は事業を引継いだ北日本ボード工業の半田社長にとって、高橋氏は家具組合の先輩にあたる。「北日本ボード工業とは、付き合いが長くお互い気心の知れた仲」。双方に信頼関係があるからこそ、事業引継ぎはスムーズに進んだ。
半田社長は「地域の産業を維持するためにも、優れた腕を持つ職人の雇用を維持したいという想いがあった。高和さんの技術と私どもの技術がうまくマッチングし、事業拡大にもチャレンジしていきたかった」と引継ぎを決断した理由を語った。
事業を引き継ぐ際に約束したことは、社員を全員雇用すること。そして、負債は持っていかないということのみ。社員たちの待遇に関しては、これまでと同様に社会保険や退職金の積み立てを継続してもらうことを念押しした。
引継ぎから始まる、
新しいチャレンジ。
事業を譲渡した高橋氏は、北日本ボード工業の秋田営業所という位置づけで、高和の技術を高く評価する顧客から現在も寄せられる仕事依頼の窓口として働いている。また、培った技術を次の世代につなぐべく、技能検定を受検する若者に対して、道具や材料を貸して指導を行なっている。「教える人が居ないから」と高橋氏は笑うが、肩の荷を下ろした現在、所属する会社を問わず地域の若手の育成に精を出し、技術をつなぐ人生を歩み始めた。
一方、北日本ボード工業では、引き継いだ張り部門の従業員の拡充を図るなど相乗効果を生み出す体制づくりに取り組んでいる。「会社として製造の効率性を求める部分と、高橋さんのように職人気質で仕事をするところ。このふたつが融合していく過渡期にある」と半田社長は語るように、引継ぎによる付加価値の創造には今後の更なるチャレンジが必要だ。
事業の譲り手と引継ぎ手、それぞれの新しい挑戦が始まっている。