〈事例10〉株式会社新家製作所|第三者承継の事例紹介
存続危機に直面した
後継者不在の町工場
後継者人材バンクが
繋いだ縁で
第三者への事業引継ぎを
実現
一年以内に事業を整理することも考えた─。後継者不在のまま前経営者が他界、借入金の返済等で経営危機に直面した町工場が、事業引継ぎ支援センターの後継者人材バンクによって、引き合わせからわずか9か月で事業引継ぎを実現した。前経営者が生前先延ばしにしていた後継者問題を、残された親族はどうやって乗り越えたのか。後継者人材バンクを活用した事業引継ぎを振り返る。
先延ばしにしていた
後継者不在問題が浮き彫りに
景勝地や観光施設が周辺に点在し、緑豊かな風景に包まれた石川県加賀市。
この一帯は観光や伝統産業を中心に発展してきたと思われがちだが、実は明治時代に織物機械を生産し、織機の開発によって機械産業の礎を築いたことが、現在のものづくり産業の土台になっている。
戦後の復興に伴い、工場のオートメーション化や各分野の技術開発競争などが進み、加賀市内にはいくつもの企業が誕生し、工場団地が形成された。そんな高度経済成長期まっただ中の昭和41年に、新家製作所は設立した。
同社が得意としているのは、切削や研削、塗装加工といった金属部品加工である。受注先企業から運び込まれた部材を、指定された寸法に加工して納品する。加工はすべて熟練した技能者が担当するため、正確さと手早さを併せ持った優秀な人材が欠かせない業種でもある。
そんな新家製作所は、長男が創業した螺子製造業を10年後に新家製作所として設立、それとほぼ同じ時期に正幸氏は中学を卒業し、技能者として同社に就職した。その後、まもなくして長男が他界したため、三男の剛氏が当時26歳の若さで二代目社長に就任した。正幸氏は、「昔ながらの兄弟でしたから、兄には絶対逆らえません。末っ子なので、家業を継ぐのが当然といった感じでした。これまで経営はすべて兄(剛氏)が掌握していたので、私はまったく関与していませんでした」
事態が急変したのは、2019年9月のこと。長年病気を患っていた剛氏が、入院先で死去したという知らせが入った。79歳だった。
そこで正幸氏が急遽社長に就任したが、実質的な経営者は依然不在のままなため、生前剛氏とつながりのあった荒木昭義氏に相談し、将来について話し合った。
荒木氏は元銀行員で、行員時代に新家製作所を担当。退職後は経営アドバイザーとして関わっていたため、新家製作所の内情に精通していた。今後は廃業か存続か、具体的な方向を正幸氏と模索した。荒木氏は、「剛社長に後継者をどうするのか、15年前ぐらいから話していたが、そのときから『心配ない』の一点張り。でも今振り返ると、後継者はまったく決めてなかったんですよ」
生前、剛氏は後継者を決めていなかった。しかも、親族や従業員らに経営を引き継ぐ意思がある者もいなかった。正幸氏もこれまで55年間現場一筋だったため、経営を引き継ぐつもりはなかった。そこで正幸氏と荒木氏は税理士の紹介を受け、藁にもすがる思いで、石川県事業引継ぎ支援センターに相談した。
事業承継できなければ廃業
後継者人材バンクが導いた奇縁
それから一週間後、起業を希望しているという山下公彦氏が、同センターに現れた。
山下氏はエネルギープラントから航空宇宙分野まで手がける大手総合重工業メーカーの生産部門の基幹職として勤務。翌年に早期退職制度を利用し、第二の人生を故郷の石川県で過ごしたいと考えていた。石川県内で引継ぎ先の企業を探していたことから、後継者人材バンクに登録しようと検討していた。
後継者人材バンクは、創業を目指す起業家と後継者不在の会社を引き合わせる仕組みであるが、どういったケースがマッチングに至るのか。同センターのチーフコーディネーター・多田久俊氏によると、「後継者を探している企業(譲渡側)は、会社の存続や従業員の継続雇用、取引先への配慮について強い思いを持っている、また会社の強みや課題を把握している方が挙げられます。一方、事業引継ぎによる後継者の希望者(譲受側)は、今後事業を展開するうえで明確な経営方針やプランを持っている方。またM&Aによるシナジー効果を踏まえ、引き受ける意思がある方が、マッチングにつながりやすいケースといえます」
多田氏は、新家製作所が当時抱えていた業務や経営の課題と、一方の山下氏の事業への思い、業務経験に適性があることから、双方がマッチングに適していると判断。新家製作所の来訪日と、山下氏が同センターに相談した日が、わずか一週間の出来事ということにも運命を感じ、新家製作所を紹介した。すると同社に興味を示したため、秘密保持契約を締結後、新家製作所の企業情報を山下氏に開示した。これをきっかけに、新家製作所と山下氏のトップ面談が始まった。これから先は、譲渡側と譲受側の双方がどれだけ信頼関係を醸成できるかが鍵となる。今回の仲介役を担当した、同センターのコーディネーター・北 渡氏は、「新家製作所の正幸社長が最初に当センターに来られてから3日後に工場へ向かい、現場を確かめてきました。やはり、鉄工業は石川県の基幹産業です。それだけに、鉄工業の廃業はどうしても避けたいという思いがありました」
トップ面談の話し合いを重ね、山下氏からは事業計画書を、新家製作所からは株式譲渡協議書の提示があり、基本合意書案の作成段階までたどりついた。
迫りつつある返済猶予期限
契約完了までは時間との闘い
事業を譲渡する際、売り手はできるだけ高値で売却したいと考えるのが当然だろう。だが、荒木氏(新家製作所の事業引継ぎ時に、臨時で顧問に就任)は、売却利益を考えない譲渡金額を提示することで関係者と意思統一した。というのも、工場の設備は10年以上手を加えておらず、一部に老朽化が進んでいたため、譲渡後に瑕疵担保責任が生じる可能性があると判断したからだった。借入金の経営者保証免除を条件にする必要があったことなど、正幸氏や故・剛氏の親族らに、後から負債を負わせたくないという思いがあった。そして、事業と雇用を維持し、円滑な事業引継ぎを実現するための経営状態での引き渡しも考えていた。
こういった企業買収には、デューデリジェンス(*1)によって、買い手が売り手の瑕疵を見込んで減額調整するケースが多々ある。これまで多くのM&Aを経験してきた荒木氏は、早期の引継ぎが必要であったことから、スムーズな調整に繋げるため、上記を考慮した譲渡金額を算定していた。このことで、山下氏は新家製作所の誠意を感じ、信頼感を徐々に高めていった。
とはいえ、2020年に入ると新型コロナウイルスの影響で、交渉が停滞することが多くなった。加えて資金繰りの悪化を抑えるため、銀行への返済猶予を3か月間先延ばしにしていたが、その最終期限が6月ということもあり、当初予定していた9月の譲渡時期を前倒しし、譲渡契約の作業は時間との戦いになった。
そうしたなか、経営承継円滑化法(*2)の認定を受け、日本政策金融公庫から株式取得資金の融資を受けた。さらに、石川県内初となる保証協会の経営者保証不要の特別保証制度(*3)も追加融資を含めた借入金の借換えに活用した。こうして、株式譲渡契約が締結され、経営権が山下氏に引き継がれた。
実はこれほど早く譲渡契約を完了させたかったのには理由があった。荒木氏は、「一年持つのか分からないぐらい資金繰りが悪化していました。事態を長引かせても、何のプラスにもならないと思いました」
事業引継ぎ支援センターに相談したものの、当初想定した期間までに候補者が現れなかった場合、荒木氏は事業を整理することも考えていたという。
新家製作所の事業引継ぎのタイミングに合わせて、偶然にも後継者に名乗り出た山下氏。そして後継者人材バンクで双方のマッチングを見極め、話を進めた石川県事業引継ぎ支援センターの存在があったからこそ、今回の事業引継ぎが無事成功したといっても過言ではないだろう。
事業を引き継いで3か月。山下氏は今後この鉄工所をどうしようと考えているのか。「まずは会社を存続させるため、経営基盤を安定させることが最優先だと考えています。私がこれまでに経験した知識や技術を生かし、生産性を高めることができれば、従業員たちがもっと元気に働けるようになるでしょう。これは新家製作所にとってものすごい改革です。そういうことの積み重ねだと思っています」
山下氏は今回の事業引継ぎをきっかけに、同センターとのつながりをさらに深め、経営基盤強化に向けて、今後も町工場の事業引継ぎを積極的に検討したいと述べた。
全国の都道府県にある事業引継ぎ支援センターは、中小企業が抱えている事業引継ぎの悩み、あるいは企業の後継者や起業を希望する人が相談することができる国が定めた機関である。同センター内に設置した後継者人材バンクは、後継者不在の会社と、創業希望者を引き合わせ(マッチング)、さらに直面する課題に応じて、専門家の紹介や支援機関を活用する方法を提案してくれる。
後継者問題を先送りにしていても何も解決しない。まずは各都道府県にある事業引継ぎ支援センターに相談してみたい。専門的・中立的な立場から事業引継ぎを支援してくれるため、経営者が抱えている悩みを解決する良策が見つかるだろう。
*1:取引価格が適正かどうかを把握するための事前財務調査
*2:中小企業の事業承継を総合的に支援する「中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律」
*3:経営者保証を不要とする「事業承継特別保証制度」
株式会社新家製作所
- 所在地:石川県加賀市宇谷町ヤ-1-28 宇谷野工業団地
- 会社設立:昭和41年7月1日
- 事業内容:金属部品加工、組立