〈事例1〉第一繊維株式会社|親族内承継の事例紹介
娘に託す地域の安心安全への思い
両親が築いた信用を受け継ぐ
売り上げの8割を“官需”が占める。主に警察官の制服を群馬県警察本部に納めている。
地域の安全安心への貢献を自負し、信用第一を長年心掛けてきた。
この大切な“信用”を寺田侑弘社長は娘の村山未央さんに託した。
親族内承継を決めた父と娘の思いとは…。
高度成長期
第一繊維は、寺田社長の父親が1945年に創業。当初は消防用ホースや市町村職員の制服、学生服などを製造販売。その後、戦後の高度経済成長の波に乗り、55年ごろから、一般向けズボンの「縫製工場」に発展。最大時80人の従業員を抱えた。
寺田社長は、そんなミシンの音がうなる時期に入社。当初は腰掛け程度の軽い気持ちだったが、次第に仕事に熱中し、「将来の社長」としての自覚を深める。
「営業一本」に転換
縫製業の主要舞台が賃金の低い中国、韓国などに移り、日本の縫製業に陰りが見え始めたころ、地方政治家の父親は議員活動に忙しく、会社の将来は45歳で2代目社長に就任した寺田社長の手に委ねられた。50歳のとき、先細る縫製業に見切りを付け、注文品を納入する「営業一本」に業態転換。作るから「売る」へ大きく舵を切った。
チャンス生かし安定
営業ターゲットは創業時と同じ官公庁。ただ、公務員の制服は廃止される時代。視界不良の市場の中で借入金の重圧に苦しむ日々が続いたが、寺田社長の目は一大チャンスを見逃さなかった。
警察官の制服の大きなモデルチェンジがあった94年。会社の命運を懸けた、群馬県警察本部発注の制服入札を見事、受注した。縫製現場を知るきめ細かな提案が実を結んだ。事業の柱が立ち、借入金は大きく減り、数年前にほぼ無借金経営になった。
託す相手
現在、警察官の制服納入事業が売り上げの柱となっている。警官の命を守る防護の役割も期待される制服の品質には間違いは許されない。地域の安心安全に関わるからだ。
この仕事への秘めた自負と長年の努力で築いた取引先からの信用、信頼を今後、託す相手は誰か。健康に恵まれたため、これまで真剣に考えてこなかった後継者問題が、80歳を過ぎた寺田社長の頭を悩ますことになった。
第三者の視点
寺田社長は2019年12月、群馬県事業承継・引継ぎ支援センターにまず相談した。当初、親族内承継は考えておらず、第三者への引き継ぎを希望。長男、次男に継ぐ気はなく、従業員として父親を支える長女の村山未央さんも息子2人と同じ考えだった。
センター側は早速、M&A(企業の合併・買収)を仲介支援する民間会社を紹介するなど譲渡先を探す手続きを取ってくれたが、寺田社長の気持ちは揺れていた。
「周囲の変わらぬ信頼、信用を第三者で得られるのか」。不安が消えなかった。
揺れ動く寺田社長の迷いを受け止めたセンターは、親族内承継の可能性を探るため、相談窓口を当初の第三者承継支援の部署から、親族内承継支援の部署(当時はセンターと統合する前の「群馬県事業承継ネットワーク事務局」)に切り替えた。
親族内承継支援の担当者は、承継までの行程を明らかにし、問題点を整理するために事業承継計画の策定を提案した。策定をサポートするために派遣した専門家は、寺田社長や東京都内で働く長男・次男ら関係家族に直接会い、一人一人の考えを聞いた。
その上で会社の将来計画や承継した場合のスケジュール、株式や会社資産、寺田社長の会社への貸付金の扱いなど親族内承継の際に決めておくべき重要事項を「事業承継計画」にまとめた。
寺田社長は「家族だけの話し合いでは詰まってしまうことが多かった。第三者の”中立的な視点”は、親族内承継の検討を促す大きな跳躍台になった」と振り返る。
ベストな選択
社長の交代時期は、寺田社長が85歳になった時。村山未央さんの社長就任までにはまだ時間がある。未央さんは「後継者は兄か弟がベストだった」と謙遜するものの、父親の営業ノウハウのマニュアル化に取り組むなど、交代に向けた準備に余念がない。未央さんは「両親の大切な会社を終わりにしたくはなかった」一心で会社を継ぐことを決意した。この強い思いを持ち続ければ、家族ら周囲の誰もが「ベストの選択」と思う日はそう遠くないはずだ。
第一繊維株式会社
- 所在地:群馬県富岡市
- 創業:1945(昭和20)年
- 従業員:4人
- 事業内容:繊維製品・防災用品販売
事業承継フロー
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- 1
- 現経営者が高齢となり、
第三者への引き継ぎを検討
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- 2
- 群馬県事業承継・引継ぎ支援センターに
売却先を相談するも、決断に至らず
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- 3
- 娘への親族内承継を検討し、
事業承継計画書を策定
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- 4
- 計画書で事業が整理され、家族も納得し、
娘が承継の覚悟を固める
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- 5
- 長めの並走期間を設け、
スムーズに後継者にノウハウを引き継ぐ