〈事例2〉有限会社サガ・ビネガー|親族内承継の事例紹介
父から子へ受け継がれる伝統と革新
江戸時代創業の酢専門店
1832(天保3)年創業のサガ・ビネガー。
じっくり、ゆっくり発酵させて酢を造る「180日静置発酵法」を創業以来受け継ぐ。
父から事業を引き継ぐ息子は、代々伝わる製法を守りつつ、
事業を発展させてきたその姿勢に学び、新たな視点から伝統を生かすための革新的な取り組みを進めている。
母親の背中
サガ・ビネガー5代目の右近雅道さんは母親の働く背中を見て育った。
4代目の父親は、雅道さんが小学生の時、42歳の若さで急逝。母親は急きょ、運転免許を取得して酢を配達するなど店の存続のために毎日必死に働いた。
高校生の時、その気丈な母親が過労で倒れる。家業存続の危機。長男の雅道さんは迷う暇さえなく18歳で家業を継ぐ。
伝統にこそ活路
当時、酢を製造販売する店は多く、競争は激しかった。資本力のある店は機械を導入して短期間に大量生産する体制を整えていた。
「速醸法」で早く、大量に生産される低価格の酢全盛の時代に直面して、雅道さんもある程度、生産工程のスピードアップに努めた。一方で創業以来のじっくり、ゆっくり酢を造る「180日静置発酵法」だけは手放さなかった。子どものころから母の後ろ姿に感じた伝統の重みは、骨身に染みていた。
赤字が続く厳しい環境でも、手間暇かかる昔ながらの製法をあえて守り通した。この選択が、やがて功を奏する。事業隆盛につながる活路は伝統の中にあった。
多品種、少量生産
雅道さんは「昔ながらの製法を守り続けてきたからこそ、いまがある」と断言する。
戦後豊かになった日本には画一的な大量生産品に飽き足らない消費者層が生まれた。酢の世界でも、さまざまな種類の酢が求められ始めた。手造り製法は小回りが利き、多品種・少量生産に柔軟に対応できる余地がある。雅道さんは機を逃さず、酢のバリエーションの拡大に果敢に挑み、佐賀県産玉ねぎを使用した「熟成たまねぎ酢」など数多くのヒット商品を生み出し、経営を安定させた。
しかしビジネス環境の変化は速い。インターネットなどの「IT革命」が押し寄せる。18歳から家業一筋の雅道さんにはなじみのない世界。ITは家業の在り方を一変させるかもしれない。雅道さんは、新時代に対応できる後継者の必要性を痛感し、経営の傍ら、理想の後継者像の模索を始めた。
後継指名
雅道さんが、三男・諭志さんを後継者に指名したのは2019年。本当は65歳で勇退する気だったが、事業承継の具体的な進め方が分からず、会社資産の扱いなど承継を進める上で必要な事柄を何一つ決めないまま、いつの間にか70歳を目前にしていた。
物事が動き出したのは、地元商工会議所経由で佐賀県事業承継・引継ぎ支援センターの支援を受けてからだ。事業承継計画の策定を手伝ってもらい、諭志さんを後継に据える正式な段取りを文書としてまとめることができた。
諭志さんは現在、地元小学生を対象にした酢蔵見学の開催や、ホームページでの「180日静置発酵法」の紹介など、新たな視点から伝統的な酢造りの魅力発信に意欲的に取り組んでいる。センターから紹介されて参加した若手経営者のセミナーで、事業で地域に貢献する同世代の取り組みを知り、刺激を受けたからだ。
家業を磨く
そんな諭志さんも当初は、後継指名をすんなりとは受諾しなかった。遠慮のいらない父子同士。商品ロゴの文字の大きさをめぐって衝突したこともある。
そんな時はセンターが“緩衝材”となった。センターの参加は父子の「言い合い」を「話し合い」に変えた。
センターの助言で、諭志さんは、家業を“磨く”重要性を知る。そこに事業承継の積極的な意味を見いだした。それは伝統を生かして革新的事業を生み出した父雅道さんのたどった道であることにも思い至った。
伝統を維持しつつ革新を忘れない姿勢は、父雅道さんから息子諭志さんに脈々と受け継がれている。
有限会社サガ・ビネガー
- 所在地:佐賀県佐賀市
- 創業:1832(天保3)年
- 従業員:10人
- 事業内容:食酢製造販売
事業承継フロー
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- 1
- 経営環境の変化や体力低下から
承継を考えるようになる
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- 2
- 70歳を前に
常務取締役の三男を後継者に指名
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- 3
- 事業承継計画書を策定し、
業務内容の磨き上げを行いつつ、
三男も後継者経営塾に参加し経営を学ぶ
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- 4
- WEBサイトの拡充や通販で
新規販路を開拓
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- 5
- 5年を目途に
代表権移転と株式贈与を予定