〈事例8〉清滝養鱒場|第三者承継の事例紹介
事業への情熱と、
地域への想いを乗せて。
名産のマスを、引き継ぐ。
栃木県名産のニジマスやヤシオマスを養殖し、日光市内のホテルや料亭に供給している清滝養鱒場。社長の星野義晴氏は60年にわたり、情熱を注ぎマスを育て続けてきた。市内のホテルや料亭で提供されるマス料理は、日光ならではの味として観光客にも愛され、養鱒場の経営は安定していた。しかし、自身も80歳を迎え、事業をいかに次の世代に残していくかを考えはじめるようになる。
60年育んできたマスを、
日光のために残したい。
世界遺産として知られる日光東照宮や中禅寺湖など、豊かな文化と自然に恵まれた日本を代表する観光地、日光。観光スポットだけでなく、湯波や川魚といった日光ならではの味もまた、愛される理由のひとつ。
清滝養鱒場は日光の豊かな自然の中、男体山から湧き出す豊富な深層水で、旨味たっぷりのニジマスやヤシオマスを養殖。現存する日本最古の洋式ホテルとして知られる日光金谷ホテルをはじめ、ホテルや旅館、料亭などにマスを供給し、日光の食文化に欠かせない重要な役割を担っている。
社長の星野義晴氏は、60年もの間、365日昼夜を問わずマスと向き合い続け、高品質のマスを安定供給できる養鱒場を、個人事業として一代で築き上げた。それだけでなく、自身の手で自宅に日本庭園をつくり紅葉の時期にはライトアップして一般公開するなど、「日光をもっと良くしたい」という情熱を人一倍持っていた。しかし、自身も80歳を迎え体調も以前より優れない状況の中、大切に育んできたマスを次の世代にいかに残すか考えはじめるようになる。
そんな折、地元信用金庫の担当者が星野氏の元を訪問。星野氏は担当者に、後継者不在の悩みを打ち明けた。すると、「栃木県事業引継ぎ支援センターが、日光商工会議所で出張相談会を開催するので参加してみてはどうか」との提案があり、後日担当者とともに相談会に訪れた。
マス、そして日光への想いを
託せる人に引き継ぎたい。
「後継者がいないことへの不安はあるようだったが、笑顔が印象的で人生を楽しんでいらっしゃる方だった」。星野氏の第一印象をそう語るのは、栃木県事業引継ぎ支援センターの統括責任者である山崎浩之氏だ。山崎氏は、星野氏の養鱒場への想いやマスに対する情熱、そして自身の体調が芳しくない現状を丁寧にヒアリング。その中から、過去に主要取引先である金谷ホテル株式会社から「後継者がいないのであれば、是非事業を引き受けたい」との打診があったが、当時は体力・気力ともに充分であったため、首を縦には振らなかったということがわかった。
一度は打診を断っていたものの、星野氏は「金谷ホテルに譲りたい」との意向を持っていた。山崎氏は「星野社長としても、手塩にかけて育てたニジマスやヤシオマスに金谷ホテルが長年高い評価を寄せていることに加え、日光の食文化を守りたいという願いを分かち合える相手だという想いを胸に秘めていた」とその理由を語る。
そこで山崎氏は、栃木県事業引継ぎ支援センターから金谷ホテル(株)に意向確認を行う旨を星野氏に提案。しかし星野氏は「自分で金谷ホテルの社長に会ってお話ししたい」と意志を示したため、山崎氏は「まずは事業への熱い想いを伝えてみてください」と、そっと背中を押した。
星野氏と金谷ホテル(株)代表取締役の平野政樹氏の面会後、栃木県事業引継ぎ支援センターから平野氏に改めて意向を確認すると、前向きに進めたいという回答が得られたため、事業引継ぎに向け本格的な支援がスタートした。
想いが重なり、
事業引継ぎがスタートするも。
「日光の観光業、食文化にとってニジマス、ヤシオマスはなくてはならないもの。我々が引き継がないで、だれがやるんだという気持ちだった」。星野氏から事業引継ぎの打診を受けた際の心境を、平野氏はそう語る。
金谷ホテル(株)にとっても、ニジマスのソテーは創業当時からの看板メニューのひとつ。しかしそれだけでなく、平野氏を突き動かしたのは、地域貢献への想いだった。「私たちにとって、清滝養鱒場のマスはなくてはならないもの。けれどそれは日光のホテルや旅館、料亭みんな同じ。大切なものを根絶やしにはできない」。
星野氏と平野氏の日光の観光産業、そして食文化への想いが重なり交渉は順調にスタートした。しかし、交渉が中盤に差し掛かったところで、星野氏の体調が急変。奥様が中心となり事業引継ぎを進めなくてはならなくなった。
さらに、事業引継ぎを進める上で大きく分けて3つの課題が浮上。1つ目は、漁業権や生き物であるマスの価値の算出を含めた事業価値の評価。2つ目が、境界が曖昧だった養鱒場の面積の特定と賃貸料の評価。そして3つ目が、明確になっていなかった相続などの権利関係の整理だ。
星野氏と手を取り合ってマスの養殖に携わってきた奥様だったが、経営は星野氏が一手に担っていたため「どう進めたら良いものか」と困惑を隠せなかったという。
そこで、栃木県事業引継ぎ支援センターの山崎氏は、これらの課題に対して連携する専門家を選定。公認会計士、不動産鑑定士、弁護士がそれぞれの課題解決に向けて動き出し、山崎氏自身も、奥様と平野氏の間に立ち、それぞれの想いを伝える懸け橋となった。
星野氏は奥様に「清滝養鱒場の名前だけは残したい」と胸の内を語っており、奥様はその想いをしっかりと受け取った。
星野氏の想いが、
マスと共に受け継がれていく。
専門家のサポートもあり浮上した課題は解決され、金谷ホテル(株)側への説明資料も整った。平野氏も「自分自身も事業引継ぎは初めてだったが、すべての資料がクリアで分かりやすかった」と語る。
養鱒場については賃貸借契約を結ぶ形で事業引継ぎが完了し、「清滝養鱒場」の名前も守られた。奥様は「病床の社長もきっと、安心したはず」と当時を振り返った。
事業引継ぎの完了から10日後、マスに情熱を注いだ星野氏は、清滝養鱒場が無事に次代へと引き継がれたことを見届けるように、この世を去った。
マスへの情熱と日光への想いが詰まった清滝養鱒場のバトンを受け取った平野氏は、「星野社長の想いを受け取った。まずは日光のためにマスを安定供給できる体制を固めながら、そのおいしさを広げ、将来的には生きた魚に触れる機会の少ない子どもたちに向けた食育などにも取り組みたい」と想いを滲ませた。星野氏が生涯をかけて育てたマスが、子どもたちに命の尊さを教える日もきっと遠くはないはずだ。
栃木県事業引継ぎ支援センターの山崎氏は「マスという地域のブランドが守られたことはもちろん、清滝養鱒場が存続したことで今まで通り産業が継続できたことが大きい。私たちも、さらに相談を受けられる体制を整えていく」と語った。
一つひとつの企業には、それぞれのストーリーがあり、経営者の想いが詰まっている。事業引継ぎとは、単に経営者が交代するということではなく、信頼できる引継ぎ手に、そういったストーリーや想いも含め、大切に育てた企業を託すことに他ならない。託す人と託される人の想いが重なり次代へとつながれた企業は、また新たなストーリーを紡いでいくことができるのだ。
星野氏のマスへの情熱、日光への想いを平野氏が受け継ぎ、新たな可能性が芽吹いた清滝養鱒場の事業引継ぎは、そのことを私たちに教えてくれたのではないだろうか。
事業引継ぎの流れ
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- 1
- 体調の悪化から事業引継ぎを考え始める
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- 2
- 地元信用金庫の担当者に
後継者不在の悩みを打ち明ける
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- 3
- 担当者とともに栃木県事業引継ぎ
支援センターの出張相談会に参加
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- 4
- 金谷ホテル(株)に事業の譲り受けを打診
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- 5
- 交渉がスタートするも体調悪化により
交渉が不可能な状態に
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- 6
- ご家族と栃木県事業引継ぎ
支援センターのサポートで交渉が進む
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- 7
- 手続き上の課題も解決され
事業引継ぎが完了
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- 8
- 名産のマスと清滝養鱒場の名前が守られ
新たな相乗効果にも期待