〈事例13〉有限会社中央食料品店|第三者承継の事例紹介
発酵文化を発展させる“良縁”
老舗漬物店の味を受け継ぐ味噌店
漬物専門店の中央食料品店。
新鮮な野菜を使った彩り豊かな漬物は、地元住民らに長年愛されてきた。
高齢の夫妻が守ってきたこの店の味を受け継いだのは、車で数分の場所にある味噌店の4代目。
愛する発酵文化の継承発展を誓い、夫妻自慢の漬物の味を大切に育む。
休みは正月だけ
呉服商だった初代店主が戦前、高知市中心街に開いた中央食料品店。初代店主の息子が2代目の近沢四三男(よおぞお)・代表取締役。妻の芳子さんと二人三脚で繁盛店に育て上げた。
芳子さんは、四三男さんと19歳で結婚。右も左も分からない中、初代の義父母から厳しい指導を受けて仕事を覚えるが、26歳の時に義父、41歳の時に義母を失う。忙しい子育ての一方で四三男さんと一緒に店を切り盛りする毎日が続いた。
芳子さんは「店はほぼ年中無休で休みは正月ぐらい。60年余り働き通しでしたが、なんとか体は持ちこたえてくれました」と振り返る。
コロナ禍の廃業
ダイコンやナス、キュウリ、ハクサイ、シロウリなど新鮮な野菜の漬物が並ぶ店頭はいつもお客でにぎわった。おいしい漬物を買い求めるだけではなく、明るく朗らかな芳子さんとの会話を楽しむ常連客が多かった。
そんな元気で人気者の芳子さんも55歳からはペースメーカーを装着した。毎日付き合う商売道具の漬物石は約20キロ。「まだまだ続けられる」という自信の一方で、四三男さんともども仕事に必要な体力の低下が気になり始めた。
体力への懸念から廃業も選択肢の一つになりつつあった2020年春、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう。
コロナウイルスの影響で居酒屋など飲食店との取引は縮小。想定外のコロナ禍に直撃され、近沢夫妻は20年夏、廃業を決意する。
惜しむ声
老舗人気店のこの決断は、地元の新聞に報じられ、廃業を惜しむ声が広がった。この情報を関係機関の高知県よろず支援拠点から伝えられた高知県事業承継・引継ぎ支援センターはすぐに動き、後継者不在の近沢夫妻に会い、漬物の技術だけでも引き継ぎを検討してみないかと提案した。
組みである社名や事業内容など具体的な情報を伏せずにすべて公開して後継者を募る方法(ネームクリア)を勧めた。近沢夫妻の了解を得て、ウェブサイトで後継者を広く募るとともに、センターはさまざまな手段を用いて後継者探しを進めた。
“発酵”のよしみ
後継者は意外なところから見つかる。高知市中心街で創業100年余りの「宇田味噌製造所」を営む4代目の宇田卓生さんだ。宇田さんは、義父から「同じ発酵食品のよしみで、一度中央食料品店を訪ねたら」と勧められた。義父はゴルフ仲間のセンター関係者から公開されている廃業の話を聞いていた。
宇田さんは「同じ発酵業だから引き継げる道具があるかもしれない」ぐらいの「軽い気持ち」で訪ねたが、近沢夫妻は、店を継ぐ「救世主」として宇田さんを迎える。
宇田さんは、近沢夫妻の期待の大きさを肌で感じた。「夫妻から漬物作りの面白さ、楽しさを教えていただいた。漬物作りを愛し、誇りにしているお二人の素晴らしい人生がすんなり心に入ってきた」
味噌以外の発酵食品にも元々関心を持っていたが、ゼロからの「白紙のスタート」にはためらいもあった。
しかし、今回は漬物石や漬物たるなどの用具はもちろん、近沢さん夫妻の大切な技術を受け継いでのスタートとなった。
日ごろから「地域の発酵文化を守り発展させ、後世に伝えていくこと」を願っている宇田さんの結論は早かった。年を越すことなく20年11月に事業を承継した。「新たな成長のステージに立てた」と手応えを感じた。
野菜はかわいい
野菜はよく見ると、一つ一つ色や姿、形が微妙に異なり個性がある。その個性を見極め、愛情を注ぎ、漬物を作ってきた芳子さんにとって野菜は「かわいい存在」だ。
芳子さんは今回の事業承継を「(自分の娘が)お嫁に行ったみたい」と語り、寂しさとうれしさが入り交じっているようだった。
有限会社中央食料品店
- 所在地:高知県高知市
- 創業:1938(昭和13)年
- 従業員:2人
- 事業内容:漬物製造・販売
事業承継フロー
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- 1
- 年齢による体力低下、コロナ禍による
飲食店の取引減少から廃業を決意
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- 2
- 廃業の話題が地元紙に掲載され、
高知県事業承継・引継ぎ支援センターが
コンタクト
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- 3
- 後継者を当該センター独自の事業である
ネームクリア方式で広く募集
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- 4
- センターの仲介で宇田味噌製造所社長が
中央食料品店を訪れ、店主の想いに共感
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- 5
- 発酵食品文化に関心の高い宇田さんが
中央食料品店の資材と味を引き継ぐ