〈事例16〉中野健三商店|第三者承継の事例紹介
立つ鳥跡を濁さず―
取引先に迷惑かけない理想の
事業譲渡を実現
中野健三商店の歩みは高木シュロの毛で作る牛用ロープの製造に始まる。
戦後の高度経済成長期に化学繊維素材の敷物や前掛けなどの製造に転換。
創業以来70年余り多くの取引先と信頼関係を築く。
その大切な取引先に迷惑を掛けないとの思いで、事業を同業者に託した。
始まりはシュロ製ロープ
中野健三商店の創業地である海南市野上新周辺はシュロの産地。強度のあるシュロ製ロープは牛追い、牛引きなどで重宝された。創業者の中野健三氏は早世し、長男隆行さんが19歳で2代目を継ぐ。下火となりつつあったロープ製造に見切りをつけ、化学繊維素材のカーペットやゴム製の雨合羽、前掛けなどの製造を始める。
60歳で商店の顔
そんな隆行さんを、経理などの事務仕事で長年支えたのは妻の中野典子さん。60歳の時、がんの隆行さんを見送り、思ってもみなかった3代目に。縁の下の力持ちから、いきなり”商店の顔”となる。
不安を吹き飛ばそうと、前掛け材料の仕入れ先である大手素材メーカー本社を訪ね、取引先訪問にメーカー社員の同行を依頼した。典子さんは「大手メーカー社員を連れてのあいさつ回りは当時珍しかった」と笑顔で振り返る。
経営の才能を開花させ、取引先の信頼を勝ち取り、事業を安定軌道に乗せる。店の借金はすべて返済。「不渡り手形をつかまされたことは一度もない」と人を見る確かな目も持っていた。
魔法のエプロン
典子さんのアイデアによる自慢商品の一つが新型エプロン「ガードロン」。スニーカーに水が落ちないようエプロンの裾を折り返し可能にした。その部分がちょうど「雨どい」の役目を果たす。調理場などで働く人の履物が長靴からスニーカーに変化したことから思い付いた。商品の宣伝文句は「ありそうでなかった魔法のエプロン」。利用者への細やかな心配りがのぞく。
後顧に憂いなく
大手素材メーカーを訪ねるなど店の看板を引き継ぐ際に見せた”行動力”は、店の看板を下ろす際にも発揮される。80歳を迎えた2020年7月、1枚の案内チラシを頼りに、和歌山県事業承継・引継ぎ支援センターを独りで訪ねる。手には、商店の過去3年間の売上台帳があった。「勝手に廃業したら多くの取引先が困る。誰にも迷惑を掛けないで辞めたかった」という典子さん。後顧の憂いなく”引き際の美学”を貫きたいと、事業譲渡の可能性を相談した。
台帳に譲渡先
応対した同センター統括責任者の井上禎さんは台帳に目を通すと、安定した経営状況だけでなく、譲渡先の”候補”を見つける。
そこには、取引先の一つに防水衣料メーカー株式会社フレック(和歌山県紀美野町)の名があった。フレックは商店の前掛けを仕入れて販売しており、しかも両者はご近所同士。典子さんとフレック代表取締役・桑添剛さんは、同業者の集いで年に数回あいさつを交わす顔見知りだ。
”脈あり”と見た井上さんは、典子さんの同意を得て、紀美野町商工会を通じてフレック側の意向を確認。前向きの返答を得て、20年9月に両者に「秘密保持契約」を結んでもらい、事業譲渡交渉の環境を整えた。両者は井上さんを介して交渉を続け、21年3月に商店の事業は譲渡された。
典子さんと桑添さんは「顔見知りだと逆にやりにくい交渉事項もあったが、助言者の井上さんが間に入ったことで円滑な話し合いができた」と話す。
師匠超え
中国にも工場を持つフレックは従業員35人が働く中堅企業。防水性、耐寒性、デザイン性に優れた数多くの防水衣料を生産する。創業の事業はシュロ製ロープの製造。規模こそ違え、その歩みは中野健三商店と軌を一にする。
事業譲渡直前にフレック工場長補佐の向井圭司さんらは商店に足繁く通い、典子さん直伝の技を学ぶ。向井さんは「引き継いだ商品の魅力をさらに高める工夫をしたい」と“師匠”超えを誓う。
中野健三商店
- 所在地:和歌山県海南市
- 創業:1948(昭和23)年
- 従業員:2人
- 事業内容:ゴム製品製造業
事業承継フロー
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- 1
- 夫の死去に伴い60歳で社長を承継
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- 2
- 高齢となり、業務の引継ぎ先を探す
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- 3
- 中小機構のダイレクトメールで
事業承継・引継ぎ支援センターの
存在を知り、連絡
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- 4
- 取り引き先のフレックに
センターから商工会を通じ、コンタクト
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- 5
- 譲渡が決まり、社員を受け入れて技術を
伝承し顧客も引き継ぐ